たいやきソウル
感じたことを感じたままに、文学・映画・音楽を中心に書いていきます。
Relativity
全てが相対的な中でどう生きていくか。何も軸が見つけられないまま、どうしたらいいものかとオロオロしている。それが今の私だ。生きることがこんなに忍耐を必要とし苦悩に満ちたものだとは、知りたくなかった。美しい音楽に聞き惚れ、気に入りのパンにかじりつく。ライフはそれだけでいいんだって友人は言うけれど、ポンチョを着てラテンになれ、とも言うけれど、きっとラテンになるためにはどうしようかって考えるんだろう。なんとなくスパイラル。くほほ。
社会人になったら少しはマシになるかと思っていた、がとんでもない。その証拠が今のわたし。働かなければ、でも働けない。ある日突然妊娠したりしないかなとか、本気で考えたりする。向こうから何かとんでもない事件が飛び込んできて、私はそれを受け入れ必死に生きていく。それしか選択肢がない。そんなふうになったら、今のような悩みはなくなるのだろうか。そうともはっきり言えないね。変わるかもだし、変わらないかもだし今までとは全く違うスケールでのた打ち回っているかもしれない。それでもいいの?分からない。
全て相対的ということは、自分で何か打ち立てることもできるはず。それは何だっていいのだ。美しいものにたくさん触れるでも、好きなパンを毎日食べるでも、しょうもないことでもいいんだろう。何かを見つけたいんだ。生きるのが少しでも楽になるような、小さくても香りが強めの山椒みたいなやつ。
今手にしているものは、他のいろんな状況の人に比べたら恵まれていると思うべきだ。でも恵まれているという事実で苦しみが癒えるわけではない。外向きの態度に注意しようとは思うけれど。そしてその恵まれているという事実が、こんなことで悩みやがってよう、と私にちょっかいを出してくる。一体私にどうしろというのだ。奴によると、悩んでいい状況というのがあるらしい。ではその状況になくてそれでも悩んでいる人間はどうしたら?
何かおかしくなってきた。こういう時はどうするか。夕方買ったチョコバナナブレッドをかじってみるか。いや、食べるのはだめだ。気持ち悪くなって胃腸薬を飲み込むはめになること必至。そんなのパンに申し訳ない。何だこの倫理観は。友人によると、こんなときは寝るのが一番らしい。医者からの眠剤で強制的に眠ることはできる。変にカッカしていて寝たくないけど、それがベストなんでしょう。仕方ない従いましょう。明日はどうしたってやってくる。おやすみ。
社会人になったら少しはマシになるかと思っていた、がとんでもない。その証拠が今のわたし。働かなければ、でも働けない。ある日突然妊娠したりしないかなとか、本気で考えたりする。向こうから何かとんでもない事件が飛び込んできて、私はそれを受け入れ必死に生きていく。それしか選択肢がない。そんなふうになったら、今のような悩みはなくなるのだろうか。そうともはっきり言えないね。変わるかもだし、変わらないかもだし今までとは全く違うスケールでのた打ち回っているかもしれない。それでもいいの?分からない。
全て相対的ということは、自分で何か打ち立てることもできるはず。それは何だっていいのだ。美しいものにたくさん触れるでも、好きなパンを毎日食べるでも、しょうもないことでもいいんだろう。何かを見つけたいんだ。生きるのが少しでも楽になるような、小さくても香りが強めの山椒みたいなやつ。
今手にしているものは、他のいろんな状況の人に比べたら恵まれていると思うべきだ。でも恵まれているという事実で苦しみが癒えるわけではない。外向きの態度に注意しようとは思うけれど。そしてその恵まれているという事実が、こんなことで悩みやがってよう、と私にちょっかいを出してくる。一体私にどうしろというのだ。奴によると、悩んでいい状況というのがあるらしい。ではその状況になくてそれでも悩んでいる人間はどうしたら?
何かおかしくなってきた。こういう時はどうするか。夕方買ったチョコバナナブレッドをかじってみるか。いや、食べるのはだめだ。気持ち悪くなって胃腸薬を飲み込むはめになること必至。そんなのパンに申し訳ない。何だこの倫理観は。友人によると、こんなときは寝るのが一番らしい。医者からの眠剤で強制的に眠ることはできる。変にカッカしていて寝たくないけど、それがベストなんでしょう。仕方ない従いましょう。明日はどうしたってやってくる。おやすみ。
待つことと約束、「うんざり」の毒
苦手なことが増えていっている。大人になるにつれて、不器用なところも不安定なところも、ごまかしつつ何とかまとまっていくんじゃないかと淡い期待をしてきたが、そううまくはいかないようだ。
今苦手なこと: 社交、謙遜、約束、そして待つこと。
待つのは本当に苦手だ、特に電話が。何人かの友人は、電話していいかと事前にメールを送ってくるが、電話の直前ならいいのだけれど、明日のいつ頃などと先のことを言うのはどうも苦手である。電話のかかるころになるとどうしてもじっと待ってしまうのだ。そしてその時間に向けてバタバタと用事を済ませたりしてしまう。疲れる。そして時間になっても電話が来ないとイライラする。今は病気のせいか動悸までしてくる。同じ待つでももっと“軽やかに”待ちたいものだ。あみんの「待つわ」みたいに重く怖くでなく(古・・・)。“何となく”待つということができたらいいと思う。いろんなことを平行してやれる人になれたらいい。
約束も、実行できなくても大したことないと思えるようなら、軽薄ではあるが気は楽だ。携帯が普及して約束も容易に敗れてしまうこの頃、そして個人的には精神的に辛く感じる時が多いこの頃、私は約束することにもしんどさを感じる。2週間以上先の約束は、クリスマスなどのイベントでもない限り苦しくてできない。今日も、実家に帰る交通予約はできたが、いつ帰るかは決められなかった。往復で申し込むと割安と分かっていたが。約束が辛くなったのは、この病気になってからだ。
ブコウスキーが言っている;要するに、おれは人生にうんざりしていた。ただ食べたり、寝たり、服を買うためにしなくちゃならないことそのものにだ。だからおれは、ベッドの中で飲んでいた。(『勝手に生きろ!』より)
・・・だから私は、部屋にこもって読んでいる。うんざりという気持ちはどうすることもできない。うんざりでない状態に戻るのを待つしかないのか・・・また待つ、か。
でも読むことは結構エネルギーを使うものだし、世界とつながっている行為だ。人生の表面的な部分での諸々に非常にうんざりしているのは確かだが、うんざりなんだよと吼える一方で、底の底では希望を持っているのではないかと思う。そしてこのうんざりにどう向き合えばいいか、私はずっと手をこまねいている。こうやってブログに書くのも、そのもがきの表れかもしれない。
今苦手なこと: 社交、謙遜、約束、そして待つこと。
待つのは本当に苦手だ、特に電話が。何人かの友人は、電話していいかと事前にメールを送ってくるが、電話の直前ならいいのだけれど、明日のいつ頃などと先のことを言うのはどうも苦手である。電話のかかるころになるとどうしてもじっと待ってしまうのだ。そしてその時間に向けてバタバタと用事を済ませたりしてしまう。疲れる。そして時間になっても電話が来ないとイライラする。今は病気のせいか動悸までしてくる。同じ待つでももっと“軽やかに”待ちたいものだ。あみんの「待つわ」みたいに重く怖くでなく(古・・・)。“何となく”待つということができたらいいと思う。いろんなことを平行してやれる人になれたらいい。
約束も、実行できなくても大したことないと思えるようなら、軽薄ではあるが気は楽だ。携帯が普及して約束も容易に敗れてしまうこの頃、そして個人的には精神的に辛く感じる時が多いこの頃、私は約束することにもしんどさを感じる。2週間以上先の約束は、クリスマスなどのイベントでもない限り苦しくてできない。今日も、実家に帰る交通予約はできたが、いつ帰るかは決められなかった。往復で申し込むと割安と分かっていたが。約束が辛くなったのは、この病気になってからだ。
ブコウスキーが言っている;要するに、おれは人生にうんざりしていた。ただ食べたり、寝たり、服を買うためにしなくちゃならないことそのものにだ。だからおれは、ベッドの中で飲んでいた。(『勝手に生きろ!』より)
・・・だから私は、部屋にこもって読んでいる。うんざりという気持ちはどうすることもできない。うんざりでない状態に戻るのを待つしかないのか・・・また待つ、か。
でも読むことは結構エネルギーを使うものだし、世界とつながっている行為だ。人生の表面的な部分での諸々に非常にうんざりしているのは確かだが、うんざりなんだよと吼える一方で、底の底では希望を持っているのではないかと思う。そしてこのうんざりにどう向き合えばいいか、私はずっと手をこまねいている。こうやってブログに書くのも、そのもがきの表れかもしれない。
再・抑うつ包囲中
職場の同僚から電話があった。心優しい同僚は「ゆっくり休んで」「仕事辞めないでください」「みんな待ってるから!」と事務連絡のかたわら励ましてくれた。彼が本心から言ってくれているのは分かるし、とてもありがたく思った。しかし私はどう答えたらいいか分からず、復帰を目指している、と何とか口にしただけだった。
なぜなら、復帰など考えられないのだもの。どうやったらあの職場に戻ろうと思えるのか。何となくやり過ごしていける方法があるのなら喜んでそれに乗るつもりだが、しかし今まで何を試みてもダメだったのだ。4月の第一週目からずっと、たとえ辛い職場でも生活のためと割り切ろう、自分にそう言い聞かせてきてこの状態なのだから。
それに、社員として働きたくても働けない人が多くいる中で、私は何というわがままを言っているのだとなじる声が自分の奥からいつも聞こえてきていた。これに対して意見や反論はいくらでもできるのだけど、それを受け付けないほど、その声は強かったのだ。
仕事やそこでの人間関係に疲れ果て、自分から毒矢を放たれた結果、ひどい落ち込み、頭痛や動悸、吐き気が症状としてあらわれ、時々死が頭をかすめた。それでもしばらく踏ん張ったが、これ以上は危ないと判断できるの力が残っている内に決意、病気休暇を取ることになった。
こうなってくると、一体何が私を楽にするのか分からなくなってくる。自分で突破口を探し当てるしかないのだろうか…読んだり書いたりする中で。
なぜなら、復帰など考えられないのだもの。どうやったらあの職場に戻ろうと思えるのか。何となくやり過ごしていける方法があるのなら喜んでそれに乗るつもりだが、しかし今まで何を試みてもダメだったのだ。4月の第一週目からずっと、たとえ辛い職場でも生活のためと割り切ろう、自分にそう言い聞かせてきてこの状態なのだから。
それに、社員として働きたくても働けない人が多くいる中で、私は何というわがままを言っているのだとなじる声が自分の奥からいつも聞こえてきていた。これに対して意見や反論はいくらでもできるのだけど、それを受け付けないほど、その声は強かったのだ。
仕事やそこでの人間関係に疲れ果て、自分から毒矢を放たれた結果、ひどい落ち込み、頭痛や動悸、吐き気が症状としてあらわれ、時々死が頭をかすめた。それでもしばらく踏ん張ったが、これ以上は危ないと判断できるの力が残っている内に決意、病気休暇を取ることになった。
こうなってくると、一体何が私を楽にするのか分からなくなってくる。自分で突破口を探し当てるしかないのだろうか…読んだり書いたりする中で。
抑うつ包囲中
昨日今日と仕事を休んでいる。10月から、一週間連続して勤務できた日があっただろうか。気持ちとしては仕事に行く気でいるのに、睡眠も薬の力を借りてきちんと取っているのに、朝起きたら体が動かない。職場のことを考えるだけで吐き気を催し、頭痛や動悸が後に続く。とりあえず職場に連絡し、吐き気止めの薬を飲み、回復するまでじっと横になる。その間大抵悪夢を見る。どんな夢か覚えていないが、リアルで、現実との区別がつかなくなるような、危ういものが多い。
亀山郁夫の『ドストエフスキー父殺しの文学』(上・下)を大体読み終えた。癲癇の発作に度々襲われながら書き続けた天才の生涯についても詳しく書かれており、感嘆とともに今ドストエフスキーの著作が人気となっているのも分かる気がした。彼の生涯や問題意識について、「これって私か?」と思うところもあり、最初は読んでいてかなり痛かった。病んだ状態の時に読む本ではないかもしれないが、非常に面白かった。『悪霊』は学生時代に読み映画も観たが、もう一度読んでみたい。
親しい人に電話したりメールを送ったり、何とかしたいと自分なりにいろいろやるものの、なかなか回復しない。処方された薬も3種あったが体に合わず、今は安定剤を中心に経過を見ている。気が弱くなっているせいで、回復する時は果たして来るのだろうかと不安になる。できるだけ問題となっている仕事から目をそらせ、と友人にも言われ、本を読んだりドラマを見たりしているが、根本的な解決になるのかは分からない。
藁にも、ではなく石にもすがりたい気持ち。
フローライトにブルーレース、モッカイトと、たくさんの石アクセサリーが私を囲んでいる。ライトグリーンやペールブルーの石に惹かれるが、自然とヒーリング効果の高い石を求めるようになった。身に付けたり、手にとって見ているとホッとする。でもそれでも、仕事に行けない時は行けない。
仕事をやめたらどうなるかとついつい考える。やめてどうするか、と積極的には考えられない。こんな状態の時に考えたところで良い答えにはたどり着けないと分かってはいるのだが、気がつくと考えている。病休→休職→退職、その後は?真っ暗。生きるのって、こんなにしんどいことだったっけ。そこを考えるのはやめようと自分に言い聞かせる。
本を読み、小説の構想を膨らませ書くことから、突破口が見つかるといいのだが。
亀山郁夫の『ドストエフスキー父殺しの文学』(上・下)を大体読み終えた。癲癇の発作に度々襲われながら書き続けた天才の生涯についても詳しく書かれており、感嘆とともに今ドストエフスキーの著作が人気となっているのも分かる気がした。彼の生涯や問題意識について、「これって私か?」と思うところもあり、最初は読んでいてかなり痛かった。病んだ状態の時に読む本ではないかもしれないが、非常に面白かった。『悪霊』は学生時代に読み映画も観たが、もう一度読んでみたい。
親しい人に電話したりメールを送ったり、何とかしたいと自分なりにいろいろやるものの、なかなか回復しない。処方された薬も3種あったが体に合わず、今は安定剤を中心に経過を見ている。気が弱くなっているせいで、回復する時は果たして来るのだろうかと不安になる。できるだけ問題となっている仕事から目をそらせ、と友人にも言われ、本を読んだりドラマを見たりしているが、根本的な解決になるのかは分からない。
藁にも、ではなく石にもすがりたい気持ち。
フローライトにブルーレース、モッカイトと、たくさんの石アクセサリーが私を囲んでいる。ライトグリーンやペールブルーの石に惹かれるが、自然とヒーリング効果の高い石を求めるようになった。身に付けたり、手にとって見ているとホッとする。でもそれでも、仕事に行けない時は行けない。
仕事をやめたらどうなるかとついつい考える。やめてどうするか、と積極的には考えられない。こんな状態の時に考えたところで良い答えにはたどり着けないと分かってはいるのだが、気がつくと考えている。病休→休職→退職、その後は?真っ暗。生きるのって、こんなにしんどいことだったっけ。そこを考えるのはやめようと自分に言い聞かせる。
本を読み、小説の構想を膨らませ書くことから、突破口が見つかるといいのだが。
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