たいやきソウル
感じたことを感じたままに、文学・映画・音楽を中心に書いていきます。
待つことと約束、「うんざり」の毒
苦手なことが増えていっている。大人になるにつれて、不器用なところも不安定なところも、ごまかしつつ何とかまとまっていくんじゃないかと淡い期待をしてきたが、そううまくはいかないようだ。
今苦手なこと: 社交、謙遜、約束、そして待つこと。
待つのは本当に苦手だ、特に電話が。何人かの友人は、電話していいかと事前にメールを送ってくるが、電話の直前ならいいのだけれど、明日のいつ頃などと先のことを言うのはどうも苦手である。電話のかかるころになるとどうしてもじっと待ってしまうのだ。そしてその時間に向けてバタバタと用事を済ませたりしてしまう。疲れる。そして時間になっても電話が来ないとイライラする。今は病気のせいか動悸までしてくる。同じ待つでももっと“軽やかに”待ちたいものだ。あみんの「待つわ」みたいに重く怖くでなく(古・・・)。“何となく”待つということができたらいいと思う。いろんなことを平行してやれる人になれたらいい。
約束も、実行できなくても大したことないと思えるようなら、軽薄ではあるが気は楽だ。携帯が普及して約束も容易に敗れてしまうこの頃、そして個人的には精神的に辛く感じる時が多いこの頃、私は約束することにもしんどさを感じる。2週間以上先の約束は、クリスマスなどのイベントでもない限り苦しくてできない。今日も、実家に帰る交通予約はできたが、いつ帰るかは決められなかった。往復で申し込むと割安と分かっていたが。約束が辛くなったのは、この病気になってからだ。
ブコウスキーが言っている;要するに、おれは人生にうんざりしていた。ただ食べたり、寝たり、服を買うためにしなくちゃならないことそのものにだ。だからおれは、ベッドの中で飲んでいた。(『勝手に生きろ!』より)
・・・だから私は、部屋にこもって読んでいる。うんざりという気持ちはどうすることもできない。うんざりでない状態に戻るのを待つしかないのか・・・また待つ、か。
でも読むことは結構エネルギーを使うものだし、世界とつながっている行為だ。人生の表面的な部分での諸々に非常にうんざりしているのは確かだが、うんざりなんだよと吼える一方で、底の底では希望を持っているのではないかと思う。そしてこのうんざりにどう向き合えばいいか、私はずっと手をこまねいている。こうやってブログに書くのも、そのもがきの表れかもしれない。
今苦手なこと: 社交、謙遜、約束、そして待つこと。
待つのは本当に苦手だ、特に電話が。何人かの友人は、電話していいかと事前にメールを送ってくるが、電話の直前ならいいのだけれど、明日のいつ頃などと先のことを言うのはどうも苦手である。電話のかかるころになるとどうしてもじっと待ってしまうのだ。そしてその時間に向けてバタバタと用事を済ませたりしてしまう。疲れる。そして時間になっても電話が来ないとイライラする。今は病気のせいか動悸までしてくる。同じ待つでももっと“軽やかに”待ちたいものだ。あみんの「待つわ」みたいに重く怖くでなく(古・・・)。“何となく”待つということができたらいいと思う。いろんなことを平行してやれる人になれたらいい。
約束も、実行できなくても大したことないと思えるようなら、軽薄ではあるが気は楽だ。携帯が普及して約束も容易に敗れてしまうこの頃、そして個人的には精神的に辛く感じる時が多いこの頃、私は約束することにもしんどさを感じる。2週間以上先の約束は、クリスマスなどのイベントでもない限り苦しくてできない。今日も、実家に帰る交通予約はできたが、いつ帰るかは決められなかった。往復で申し込むと割安と分かっていたが。約束が辛くなったのは、この病気になってからだ。
ブコウスキーが言っている;要するに、おれは人生にうんざりしていた。ただ食べたり、寝たり、服を買うためにしなくちゃならないことそのものにだ。だからおれは、ベッドの中で飲んでいた。(『勝手に生きろ!』より)
・・・だから私は、部屋にこもって読んでいる。うんざりという気持ちはどうすることもできない。うんざりでない状態に戻るのを待つしかないのか・・・また待つ、か。
でも読むことは結構エネルギーを使うものだし、世界とつながっている行為だ。人生の表面的な部分での諸々に非常にうんざりしているのは確かだが、うんざりなんだよと吼える一方で、底の底では希望を持っているのではないかと思う。そしてこのうんざりにどう向き合えばいいか、私はずっと手をこまねいている。こうやってブログに書くのも、そのもがきの表れかもしれない。
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